みなさん、こんにちは!今日も命に感謝します。言葉はちからです。
一昨日の日中はお腹が痛かったので、薬を飲んで休んでいました。
祖母の家にはネコが3匹いるのですが、私の言葉を理解してくれるようです。
一匹は私の足元に擦り寄ってきて、「あれ、癒してくれるのかな」
と思いきや…
私の背中を叩いてね、という催促のお願いでした。笑
そんなゆっくりとした時間を過ごし、本日も言葉を綴ることができて感謝です。
痛みも生きている証拠ですね。
自由意志は夢中への入り口
今日のテーマは、「夢中も現実」ということについてです。
ChatGPTの進化が凄いですね。
先日、Chat GPTで簡単にテトリスというゲームができたというニュースを見ました。
誰でもプログラムを作れるようになり、実装してみた方のツイートがバズっています。
確かにシンプルでしたが、ゲームと同じような画面の中に、
ブロックが上手に落ちていく映像でした。
それをみて私は、ゲームを作ることを楽しむように、発想を転換してChatGPTで何ができるかを試行錯誤して楽しむ人が、新しい発明をたくさんしていくのだろう、と思います。
たとえば、翻訳ソフトを既につくった方は、
今後更に使いやすく改良して販売を計画しているそうですし、
システムエンジニアは特殊技術で特別な人たちの仕事だと思っていましたが、
素人でも作ろうと思って作った方は、たとえコードの書き方を学んでいなくても、
もう実際にChatGPTでコードを書いてしまっているそうです。
テトリスを作ったというニュースを見て、
全て、やろう!と思った人こそ、何か道を切り開いていくことを示唆する…。
そんなニュースだったように思えます。
やろう!と思う時点では、意思を誰にも強制されていないということ。
100%、自由意志です。
結局やるかやらないかは自分次第だと思います。
自らの心に赴いて行動すると、人は夢中という状態になります。
みなさんは夢中になった経験、ありますか?
どうでもいいけどやり切ったこと
実は昨夜は、金曜ロードショーでルパン三世「カリオストロの城」を観ていたのですが、
小学生の時に夢中になったことを思い出しました。
当時、小学校に行きたくなかった私は、近くのTSUTAYAで、
ルパン三世のテレビシリーズを借りることにとてもハマっていました。
学校はいじめがあったクラスで、毎日行くことが嫌でたまらなかったのですが、
頑張って登校して、塾や習い事にいく。そして帰りがけに、ルパンを借りて観る。
それが楽しみで仕方なかったのです。
ビデオは1本100円〜200円だったと思いますが、
母も文句ひとつ言わずお金を出してくれました。
(というか、一緒に観ていたこともあります。)
本当に行きたくなかった学校も、ほとんど休まず行きました。
ルパン三世のテレビシリーズは、確か150話ほどあったと思います。
30分1話完結のストーリーで、6話、約3時間ほどが一つのビデオにまとまっています。
ルパンたちの毎回違う敵やお宝へのアプローチ、
個性的な登場人物たちとのイベントが、
それはもう、あまりに面白いのです。
ルパンを観られる喜びこそが、小学校5年の私にとっての生き甲斐だったと言えます。
それだけではありません。
さらに当時、コカ・コーラに、私のためと言えるような企画が…!
なんと、一本買うごとにルパンのフィギアがついてくるのです。
…夢中。まさにこの言葉がピッタリでした。
ペットボトル飲料の売り場に行っては1本、ちょっとおまけの袋を手で触りながら、
欲しいなあと思って通り過ぎる日々。
何か一つ頑張ったら、コーラを購入すると母と約束していました。
当時私は、習い事でテニスクラブに入っていたのですが、周りは男子ばかりの環境。
それだけでもかなり気が引けたのですが、練習で女子は常に私一人だけ。
緊張しながらも、クラブチームは名門だったので、
コーチの期待に応えられるよう、上手になって試合に出ないと、
と思いながら、なんとか続けていました。
今となって思い返せば、体力があるのは習い事のテニスのおかげでもあり、
嫌だった小学校以外でも何か少しでも頑張れることがあった環境には、
本当に感謝しかありません。
そんな嫌だ、大変だ、と思っていた状況を乗り越えられた原因は、ルパン三世でした。
私を夢中にさせてくれたルパン、ありがとう。
夢中になれば、辛いことよりもフォーカスは夢中の対象になる…。
まさに夢の中と言えるような状態でしたが、それは、
自分がどんな現実を見るか、何にフォーカスするか、ということを、
教えてくれていたのかもしれないと、今となっては思います。
夢中になるのはいいが、盲目になってはいけない
当時、大変な状況から逃れたいと、たまたま夢中の対象ができたとも言えます。
しかし、自分が好きだから、という気持ちだけで夢中に走ってしまっては、
時に周りが見えなくなってしまう時もあります。
たとえ何かに夢中になったとしても、
周りにいる相手を大切に思う気持ちを忘れてはいけません。
夢中を貫くのもいいでしょう。
しかし、夢中を貫ける環境とは、
自分の力だけでできたものでは決してないということです。
謙虚な気持ちを忘れて、好き勝手にやりたいことだけやればいい。
それは、周りが見えていない状態です。
どれだけ学校が嫌いだろうが、テニスクラブがハードだろうが、
関係なく私の日常に起きたこと。
夢中のために、何かを逃げの理由にして、盲目になっては、
成長が止まってしまうよな、と大人になって思います。
辛いことを辛いと言ってみたり、もっと工夫してみる勇気。
今の大人にこそ必要な力なのではないかと思います。
言葉は力です。
大丈夫、必ず夢中になれる世界はあります。
好きを大事に、夢中にさせてくれた対象には心からの感謝をして、
自分が生きる世界に感謝を述べられる人になりましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
感謝!
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