おはようございます!今日も命に感謝します。言葉はちからです。
昨日5月1日は「夏も近づく八十八夜♪」の歌で知られる『八十八夜』でした。
そうか、桜が散ったばかりかと思えば、
もう夏の始まりなのか!と思う季節です。
また、ゴールデンウィークはまさに田植えの時期。
私の家はもともと農家です。今は残念ながら米づくりを止めてしまいましたが、
幼い頃の私にとっては家族みんなで田んぼに入った懐かしい思い出がたくさんあります。
話が逸れましたが、八十八夜は茶摘みの歌。普段コーヒーが好きな私ですが、
そういえば田植えの合間はやっぱり一杯のお茶が最高だったよな、と思い出します。
皆さんはどんな休日をお過ごしですか。
気持ちよく過ごすためのマナー
今日のテーマは「マナーも誰かの喜びのため」です。
『ユニバーサルマナー研修』の講師をされている、
岸田ひろ実さんから「親切」について学びます。
知的障害のある長男の誕生、夫の死、そして、ご自身の大病。
度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田さん。
そんな岸田さんを救ったのが娘さんの言葉だったそうです。
その言葉とは…。
ある日、娘が車椅子を押して、私を街に買い物に連れ出してくれたんです。
目的の店はすぐ目の前なのに、車椅子では遠回りしないと行けないことが
いかに多いかを、この時の外出で初めて実感しました。それと、もう一つは人の目線ですね。
どこに行っても「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう。
「車椅子で何とかなると言ったって、何ともならないじゃない」
という感情がワッと込み上げて、一所懸命に頑張ってきたものが、
音を立てて崩れるようでした。それが、本当に辛くてレストランに入った時「もう無理」と思って、
初めて娘の前で泣きました。「こんな状態で生きていくなんて無理だし、母親として、
あなたにしてあげられることは何もない。お願いだから、私が死んでも許して」って…。「娘は、泣いているだろうな。死なないで!って言われるんやろうな」と思って
ふと見たら普通にパスタを食べていました。そして「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。
一緒に死んであげてもいいよ」と言ったんです。続けて「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、
ママは私のことが嫌いになる?面倒くさいと思う?」と聞きました。「思わないよ」と答えると…
「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、
歩けないなら私が手伝ってあげる。2億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、
もう少しだけ頑張ってみよう」と言ってくれたんです。私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。
「ママ、死にたいなら死んでもいいよ(致知出版社)」より
親切とは優しくするだけじゃない
岸田さんは、この経験を活かして「自分と同じように絶望している人々の
心や体を元気にしたい!」と考え「ユニバーサルマナー」の普及、啓蒙活動をしています。
「ユニバーサルマナー」とは、
自分とは違う誰かのことを思いやり、適切な理解のもと行動すること。
社会の中で誰もが気持ちよく生活していくための知恵や技術が「マナー」ですが、
違う誰かを想い、行動することが「ユニバーサルマナー」。
一人ひとりの行動の中身も問われています。
たとえば、私たちは、目の前に車椅子の人がいると…
あるいは白杖を持った人がいると…
または、手話をしている人がいると…
「何かしてあげなくてはならない!と考えがちです。
しかし、それだけでは、正しい向き合い方ではないのです。
大切なのは「目の前の人が何を求めているのかを知る事」だと
岸田さんは言っています。
「決めつけて行動するのではなく、相手の求めていることを知り
行動すること」が大切で、本当の親切なのです。
これは障がいを持った方へだけではなく、
全ての人に対しても同じことではないでしょうか。
岸田さんのお話は、「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」というNHKドラマにもなっています。
放送は、2023年5月14日(日)スタートだそう。間もなくです。
気になる方は、ぜひチェックしてみてください。
いったん自分意思は脇において考える
人を応援することは大切な行為です。
しかし、相手が望んでいないことであれば迷惑なことです。
なので、目の前の人に対して、何かお手伝いをしたいと思ったら
「何かお手伝いできることはありますか?」と一声かけるようにすることがいいでしょう。
私も、ホテルで勤めていた頃ですが、白杖を持ってゆっくりと駅を歩く男性に出会いました。
一人でも点字ブロックを歩けているようでしたが、
道を間違えたと感じたのか、来たルートを戻り始めました。
私は恐るおそるですが、「こんにちは。よろしければですが、駅のどちらへ向かおうとされていますか」と声をかけました。
男性も恐るおそる私の方を見て「ああ・・・」と一言。
「よろしければ、私は駅が歩き慣れておりますので、少し一緒にいきましょう。」
そうして男性と共に少しの距離ですが、彼の目的のルートを共に歩みました。
優しいお声でお礼をいただき、こちらこそ、という気持ちでいっぱいです。
嬉しい親切は巡る
実は、先ほどの話ですが、続きがあります。
一週間ほどでしょうか。また同じ男性が、今度は駅の別のルートを歩いていました。
そして、前回と同じように、再び足取りがゆっくりとなって、来たルートを返り始めました。
私は同じ男性とわかっていても、やはり声をかけることを一瞬だけ躊躇してしまいました。
でも、方法は知っています。まずは「こんにちは」です。
嬉しいことに男性が私を見る表情が前回と少し違って見えました。
「よろしければ、駅のどちらに向かおうとされていますか。
よかったら少し一緒に参りましょう。」
男性は私の腕をとって下さりました。歩きながら、
「この前の人ですよね。ありがとう。」
自己紹介もしていないのに、私を覚えていて下さり、
信頼してくださることに、嬉しく感謝の気持ちが湧き出ました。
近くのホテルに勤めていることを伝え、目的のルートに着いたので、お別れしました。
「親切」も言葉の表現にこころを込めて
「親切」という2つの漢字。
親を切るとは不思議な表現です。なんだか先ほどの岸田さんの物語にヒントがありそう。
でも、やはり「親切」の元は愛なのだ、と私は確信しています。
自分が良ければ、とか自分が役に立てれば、というお話ではない。
相手の喜びは私の喜び。そんな気持ちこそが大事であり、
言葉に乗せて伝えるべきだと思います。
言葉は力です。
ただの親切、ではなく、真心を込めて「親切」を表現していきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
感謝!
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